みなさんは鈴木隆行選手を知っていますか。
茨城県日立市出身のプロサッカー選手です。

覚えていますか、というように訊いたほうが良いかもしれません。

鈴木選手は2002年日韓ワールドカップでフォワードとして活躍しました。
彼がベルギーとの初戦で決めたゴールは日本代表を敗戦の危機から救う貴重なものとなりました。

あの興奮から10年。

鈴木選手はまだ現役でプレーしています。

茨城県にはJリーグのチームが2つあります。
1つは鹿島アントラーズ。
最多優勝回数を誇る名門です。
そしてもう1つが水戸ホーリーホック。
彼がプレーしているのはこの年間予算4億円程度の小さなチームです。

鈴木選手は、日韓ワールドカップの後、活躍の舞台をヨーロッパに移します。
そして、国内外の複数のチームでプレーした後、2010年に米国で現役生活の引退を宣言します。
34歳のときのことです。彼は米国に留まり指導者になる道を選びます。

翌2011年の3月11日。
米国でコーチになる準備を進めていた彼は、日本で未曽有の大震災が起こったことを知ります。

故郷のために何か力になりたい、そう考えた彼は水戸の監督に連絡をとります。

「僕にできることはありませんか?」
彼はチームスタッフとして水戸に入団する意向があることを監督に申し出ました。

ところが、監督は彼に意外な提案をしてきます。
「協力してくれるということであれば、もう一度現役でプレーしてくれないか?」

もう半年も体を動かしていない。
一度走るのを止めた選手がコンディションを取り戻すのは容易なことではありません。

彼は熟慮の末、水戸での現役復帰を決断します。
そしてチームに1つだけ条件を出します。

年俸0円。

なんと彼は無給でプレーすることを申し出たのです。

過酷なトレーニングによって見事トップフォームを取り戻した彼は、2011年シーズン20試合で5ゴールを決める獅子奮迅の活躍を見せることになります。
しかし、彼が体をいくら酷使しようとも、何ゴール決めようとも、その報酬が金銭として支払われることは無いのです。

何と素晴らしい行動でしょうか。

僕の父は茨城県南部で米作農家をしています。
故郷を離れた僕ら兄弟が田植えや稲刈りの時期の週末だけ戻り、農作業を手伝う、そんなことを何年も続けてきました。

例年だと4月後半に田植え作業を行うのですが、昨年は5月半ばにずれ込みました。
田んぼに水を張るための給水管が震災で破損し、修理も儘ならない状態が続いたからです。

それでも我が家のような内陸地の農家はまだましな方です。

海岸沿いの地域には、津波により運ばれた海水が田んぼに入ってしまったという方も多く居られます。
こうなってしまうと、せっかく苗を植えてもすぐに枯れてしまうのです。
田んぼの土から塩分を完全に取り除かなければならなりません。大変な作業です。

テレビなどのメディアでは福島県や岩手県の惨状が取り上げられることが多いです。
被害の大きさから見ればこれはある意味当然のことでしょう。

ですが、茨城県もれっきとした被災地です。

僕は鈴木選手のような行いはとても真似できない。
だけど、どんなにささやかなものでもやらないよりはやった方がまし。
なので僕の経営する特許事務所では、被災地(もちろん茨城県も含みます)の方を対象とする費用割引制度を設けています。
僕が培ってきたスキルなんて大したことないですが、少しでも復興の手助けができれば素晴らしい、なんて思っています。