パパ連れてってよお(三四郎)

戸田ゼミコラムのアーカイブです。このコラムはすでに連載を終了されています。

2012年02月

起業してみてサラリーマン時代と決定的に違うなと思ったこと。
やっぱりそれは勤務時間が決まっていないってことです。

個人事業者になってからはときどき妻の代わりに長女の幼稚園のお迎えに行くようになりました。
僕もこれで結構忙しいんですけど頼まれると断れません。

半月ほど前の水曜日。
その日は給食なしで幼稚園の園児は午前中で降園。
お昼前に長女を迎えに行ったんです。
我が家から幼稚園までは自転車で10分ぐらいです。

長女を後ろに乗せて自宅に戻る帰り道。
さっき通った交差点の歩道の端に折り畳み机のようなものが置かれています。
机の上には何やら白いものが幾つも積まれています。
机の後ろには20代ぐらいの兄ちゃんが1人ぽつんと立ってます。

近づいてみると机の上のものは弁当のようです。

自転車がその交差点にたどり着くと信号が赤に変わりました。
自転車をおりて横の兄ちゃんの方に顔を向けると、机の下の張り紙には「290円」と書いてあります。
ハンバーグ弁当とかから揚げ弁当とか種類も割と豊富。値段は一律290円。

兄:こんにちは。いかがですか。

僕:290円。安いね。毎日ここでこうして売ってるの?

兄:月曜から金曜は毎日きてます。

僕:お店とか無いの?

兄:えー。埼玉の方にあります。小さいですけど。ここ昼どき人通り多いんで車で運んでくるんです。

僕:何人でやってるの?

兄:4人です。4人で作って1人が売りに来ます。

僕:雨の日とかもやってるの?

兄:数減らして運んできます。朝早いからこの時期は寒くてね。

僕:今日は嫁がご飯作ってるから無理だわ。こんど嫁がいないときに買いに来るよ。

あかの他人なんだけど何だか彼らを応援したい気になってしまって、「こんど買いに来るよ」なんて言ってしまいました。
そんな気になったのは、彼らの商売と僕の始めた商売が割と似てると感じたからです。

少し前に「もしドラ」が流行りましたよね。
弱小高校野球部がドラッカーのマネジメント手法を取り入れてどんどん強くなっていく話。

ドラッカーの人気は今も全く衰えていない感じですね。
書店に行くとどこも彼の本が平積みされてます。

彼は20世紀は「組織の時代」って言ってましたよね。
効率的な組織マネジメントの仕組みを構築した企業は巨万の利益を生み出し、運よくその一員となった者は永く福利を享受することができた。
100%同意。まったくその通りだと思います。

加えて言うと、個人的には、僕ら日本人にとって「組織の時代」は繁栄を謳歌するのに好都合な時代だったんじゃないかと思います。
邱先生の仰るように日本人は「グループアニマル」ですからね。
もちろん、日本人がみな頑張った、勤勉な国民性を持っていた、っていうことは絶対ある。
だけど良い追い風が吹いていた時代だったってのもあるような気がするんです。

でもって、20世紀が「組織の時代」だったからといって21世紀も「組織の時代」ってことはちょっとありえない。
お釈迦様の言っているようにこの世は「無常」です。
常は無いわけです。
環境が変われば正しいとされることも変わる。
そうじゃないですかね。

じゃあ21世紀は何の時代なのか?
お前わかってねーよって批判を覚悟の上であえて言わせてもらうと、
僕は「個人の時代」になるんじゃないかって見通しを持っています。

遅かれ早かれ僕らはみんな個人事業者になる。
一生同じ会社に務める人なんて無くなる。
みんながフリーエージェント。
そういう社会に移行する過渡期をいま生きているんじゃないか。
だったら高い授業料を払うことになったとしても、やり直しがきく年齢のうちに一度ぐらい自分で事業をしてみてもいいんじゃないか。
そんなことを考えながら僕は起業に至るまでの数年間を過ごしてきました。

この話の続きは次回。

みなさんは鈴木隆行選手を知っていますか。
茨城県日立市出身のプロサッカー選手です。

覚えていますか、というように訊いたほうが良いかもしれません。

鈴木選手は2002年日韓ワールドカップでフォワードとして活躍しました。
彼がベルギーとの初戦で決めたゴールは日本代表を敗戦の危機から救う貴重なものとなりました。

あの興奮から10年。

鈴木選手はまだ現役でプレーしています。

茨城県にはJリーグのチームが2つあります。
1つは鹿島アントラーズ。
最多優勝回数を誇る名門です。
そしてもう1つが水戸ホーリーホック。
彼がプレーしているのはこの年間予算4億円程度の小さなチームです。

鈴木選手は、日韓ワールドカップの後、活躍の舞台をヨーロッパに移します。
そして、国内外の複数のチームでプレーした後、2010年に米国で現役生活の引退を宣言します。
34歳のときのことです。彼は米国に留まり指導者になる道を選びます。

翌2011年の3月11日。
米国でコーチになる準備を進めていた彼は、日本で未曽有の大震災が起こったことを知ります。

故郷のために何か力になりたい、そう考えた彼は水戸の監督に連絡をとります。

「僕にできることはありませんか?」
彼はチームスタッフとして水戸に入団する意向があることを監督に申し出ました。

ところが、監督は彼に意外な提案をしてきます。
「協力してくれるということであれば、もう一度現役でプレーしてくれないか?」

もう半年も体を動かしていない。
一度走るのを止めた選手がコンディションを取り戻すのは容易なことではありません。

彼は熟慮の末、水戸での現役復帰を決断します。
そしてチームに1つだけ条件を出します。

年俸0円。

なんと彼は無給でプレーすることを申し出たのです。

過酷なトレーニングによって見事トップフォームを取り戻した彼は、2011年シーズン20試合で5ゴールを決める獅子奮迅の活躍を見せることになります。
しかし、彼が体をいくら酷使しようとも、何ゴール決めようとも、その報酬が金銭として支払われることは無いのです。

何と素晴らしい行動でしょうか。

僕の父は茨城県南部で米作農家をしています。
故郷を離れた僕ら兄弟が田植えや稲刈りの時期の週末だけ戻り、農作業を手伝う、そんなことを何年も続けてきました。

例年だと4月後半に田植え作業を行うのですが、昨年は5月半ばにずれ込みました。
田んぼに水を張るための給水管が震災で破損し、修理も儘ならない状態が続いたからです。

それでも我が家のような内陸地の農家はまだましな方です。

海岸沿いの地域には、津波により運ばれた海水が田んぼに入ってしまったという方も多く居られます。
こうなってしまうと、せっかく苗を植えてもすぐに枯れてしまうのです。
田んぼの土から塩分を完全に取り除かなければならなりません。大変な作業です。

テレビなどのメディアでは福島県や岩手県の惨状が取り上げられることが多いです。
被害の大きさから見ればこれはある意味当然のことでしょう。

ですが、茨城県もれっきとした被災地です。

僕は鈴木選手のような行いはとても真似できない。
だけど、どんなにささやかなものでもやらないよりはやった方がまし。
なので僕の経営する特許事務所では、被災地(もちろん茨城県も含みます)の方を対象とする費用割引制度を設けています。
僕が培ってきたスキルなんて大したことないですが、少しでも復興の手助けができれば素晴らしい、なんて思っています。

Facebookの話の続きです。
Facebookのプロフィールには好きな映画も掲載できるようになっていますね。

僕のお気に入りは「Life Is Beautiful」です。
これはアカデミー賞を複数部門で受賞している映画なので観たことあるって方も多いんじゃないでしょうか。

1939年。戦争へと進むムッソリーニ政権下のイタリア。
物語はユダヤ系イタリア人のグイドが叔父を頼ってトスカーナ地方のアレッツオという町にやってくる場面から始まります。
グイドはアレッツオに着いてすぐにドーラという美しい女性と運命的な出会いを果たします。
ドーラは良家の娘で、その時には親によって決められた官僚のフィアンセがいるわけです。

ところがこのグイドはジローラモをさらにお調子者にしたような奴で、遊び心いっぱいの奇抜な手を幾つも使ってドーラにアプローチするんです。
フィアンセに対する愛情に疑問を感じていたドーラはグイドと駆け落ちしてしまいます。
数年後、2人はジョズエを授かります。おもちゃの戦車が大好きなとても利発な男の子です。

…っとここまではコメディタッチに描かれた唯の駆け落ち物語です。ここから物語は急展開を見せます。

ジョズエの5歳の誕生日の前日。
ドーラが外出している間にグイドとジョズエが強制収容所に連行されてしまいます。
老人や子供は労働力にならない。だからちょっとでも兵隊の気に障ることをするとガス室に入れられてしまいます。

まだ幼いジョズエは自分がなぜこんな臭くて汚いところに入れられるのか理解できません。父グイドはそこでとんでもない嘘をつくわけです。

ジョ:パパ。この列車はどこに行くの?

グイ:明日はお前の誕生日だろ。これから楽しいところに行って毎日ゲームをして遊ぶんだよ。まず男と女は別々になる。兵隊もいる。毎日やることは決まっている。エラーをすると家に返されてしまうけど1000点とって一等賞になったらご褒美がもらえるんだ。

ジョ:ご褒美って何?

グイ:本物の戦車だよ。兵隊に見つからずに部屋にずっと隠れていられたら120点。ママに会いたいとかおやつが欲しいとか言ったら減点だ。

ジョ:パパ。今日はおやつ欲しいって言わなかったよ。

グイ:よし。それなら12点だ。

ジョ:パパが出かけてる間ずっと隠れてたから兵隊に見つからなかったよ。

グイ:それなら120点。今日は得点表見てきたぞ。お前が一等賞だ。

グイドは自分たちが命の危険に晒されていることを息子に覚られないように涙ぐましい芝居をするわけです。日々の過酷な労働に絶えながら。

物語の結末がどうなるかはここでは触れません。
まだ観ていない方はぜひご覧になって下さい。
今日よりも明日は良いことがある。
明後日は明日よりも良いことがある。
だから逆境のときこそ笑えばいいんだ。
そう思えてくる映画です。

そうそう。
僕らの良く知ってる人の中にも一人いますよね。
植民地で生を受けたが故に少年期から青年期にかけての人生を差別に晒されて生きた。
そんなことは微塵も感じさせないぐらいにやたらとこにこしている好々爺が。

いやいやいやあ。
ついに始めてしまいましたよ。
Facebook。

戸田先生の強い押しに促された形でアカウント登録してしまいました。

でもヘルプとかあまり見る余裕ないんでいまいち使い方を把握してません。
どこに書いた情報が誰に開示されるのかがわからないんです。
だから今のところ誰かがコメントしたことに返信してるだけ。
とても使いこなしているという状況ではないです。

これではいかーんということで、まずは名前と学歴程度しか埋めてなかったプロフィールをちゃんと書くことにしました。

今まで気づかなかったんですけど、Facebookのプロフィールって宗教を選択する欄があるんですね。それも結構目立つ上のほうに。

みなさん。宗教とか埋めてます?

よく日本人は信仰心が薄いって言われますよね。
外国、特に欧米に留学してた友達とかはほぼみんなが、「外国に住むと自分の宗教を否応なしに意識させられる」なんて言うわけです。

僕も20代のころは多くの人と同じように宗教なんて全く関心ありませんでした。
でも長女が生まれたときにですね。
「宗教とかってちゃんと知っといたほうがいいんじゃないか」って思ったんです。
不思議なことに。

それで主要な宗教の初心者向けの本を図書館から借りてきて一通り読んでみたんです。

読んでみて分かったことは2つです。

1つは、キリスト教、仏教、ユダヤ教、イスラム教、どの宗教の教義もそれなりに立派だってことです。

もう1つは、僕のメンタリティ的には仏教の教えが一番しっくりくるってことです。
なので僕はFacebookのプロフィールの宗教も「仏教」にしましたし、海外渡航するときの入国申請でも宗教は「Buddhism」って書いてます。

仏教の教えの根幹をなすものは「輪廻」ですよね。
お釈迦さまの教えによると、僕らが生を受ける世界は、天道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道の6つなんだそうです。人間道は上から2番目ですから、下の4つに比べればわりかし良いところです。

各道で生きている間の記憶や行いは無意識のさらに奥底にある阿頼耶識(あらやしき)というメモリーにすべて格納されます。
僕らはこのメモリーの記憶内容を維持したまま、人間道→畜生道→人間道→天道…というように生死を繰り返すわけです。

煩悩を捨て去って悟りを開けばその時点で生まれ変わりは終わり。仏になります。
つまり、仏教では永遠に死んだ状態が一番イケてる状態ということになります。

この輪廻レースのトップを走るのが弥勒菩薩(みろくぼさつ)です。
あと56億7000万年後には修業が終わって晴れて仏の仲間入りだそうです。
「やるな。ミッチー」って感じですね。

でもって僕はというと、
家事の手伝いも育児の手伝いもちゃんと頑張ってるんで、来世も人間道は堅い、うまくいけば天道も狙えるぜ!、ってなポジションンにいるわけです。
だけど仮に来世で人間に生まれたとしても、妻が畜生に生まれたら結婚はできません。たぶん。
仮に仮に2人とも人間に生まれて結婚したとしても、娘2人と再び親子になる確率なんていったら、こりゃもう「あーりえないサー」ってぐらいに低いわけです。

こう考えると、毎晩4人で食卓を囲めるのも結構な奇跡の上に成り立ってることなんじゃないか、なんて思えてくるわけです。

果てなく続く輪廻の中のたった一度の巡り合わせ。その巡り合わせに感謝しつつ、今日の夕食もおいしく頂きます。
今晩のメインは大好物のハンバーグです。
来世でこのハンバーグにされないように、明日もしっかり生きなきゃ。


さくらに あじさい きんもくせー
きれいに なかよく にこにこにーこ
わたしの ゆめはー うつくしくー
みどりがおかにー かがやくよー ♪♪

なかなかいい歌詞だと思いませんか。
お聞かせできないのが残念なぐらいメロディも良かったりします。
実はこれ。長女が通っている幼稚園の園歌です。
長女は6歳。今幼稚園の年長さんです。この4月に小学校にあがります。
2年以上も聴いているので僕もすっかり覚えてしまいました。

我が家にはこの園歌を歌える人がもう一人います。
3歳の次女です。
お姉ちゃんが歌っているのを聴いて覚えてしまったんですね。
僕と長女が歌ってると必ず後から入ってきます。
そして僕ら2人が歌うのをやめても最後まで歌ってしまうのです。

昨年の11月。
次女の幼稚園の入園試験がありました。
もちろん長女が通っているのと同じ幼稚園です。
我が家の近所には公立の幼稚園が無いので私立に通わせています。
私立なので一応入園試験があるわけです。
毎年定員に満たないのでほとんど落ちる子はいないんですけどね。

試験官は園長先生と副園長先生。
面接室に子供と保護者が入ると先生たちが待っています。
そこで「名前は?」とか「好きな食べ物は?」とか訊いて答えられるか見るわけです。
長女のときは「好きな食べ物は?」と訊かれて「ソーセージとお肉」と元気よく答えられました。
「ソーセージもお肉でしょ」なんて突っ込みはありません。
元気よく答えられればそれで合格です。

さてさて。
こう見えて僕は割とチョイ悪おやじです。
次女が合格率≒100%の試験を受けると聞くと生来の遊び心が騒ぎ出してしまいます。

試験前日の晩。
僕は次女にこう吹き込みました。
「いいかい?明日は園長先生とお話しするから」
「私歌えるよって言って幼稚園の歌を大きな声で歌ってくるんだよ」

入園前の子が突然園歌歌いだしたら先生たちどんな反応するだろう。
考えただけでニヤけてしまします。

こくりと頷く次女。
よく見ればくのいちのような凛とした顔をしているではありませぬか。

そして翌日の朝。
僕の密命を受けた次女は母上と共に揚々と出かけていったのです。
その日僕は仕事を定時で切り上げ、速攻で帰宅しました。

「どうだったどうだった?」

僕のほうを振り向く妻。
んっ?
ドジを踏んだチビまる子を見る姉さき子のようなシュールな眼差しです。
彼女はにこりともせずに言いました。

「いつもママとお迎えに来る妹さんね。わかってますからいいですよ。って言われて…。うちだけ面接は無しだったよ」

「えーっ…」

チョイ悪おやじのチョイ悪計画。失敗です。

でも合格は合格。
素直にそれを喜ぶことにします。

何はともあれ次女も4月から幼稚園児の仲間入りです。

もう暫くのあいだ、我が家であの馴染みのフレーズの歌声が聴けることになりそうです。

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